オディシャの過酷な!?稽古場について、ふと思い出しましたのでブログで紹介します。
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私個人は、床と音の問題がクリアされていれば 大体どこでもレッスンできる と考えています。

オディシャでダンスを学んでいたとき、稽古場はとても質素で、必要最低限の環境でした。
日本人のイメージするようなスタジオではなく、小さな部屋の集合した住宅?の駐車場が練習場になっていました。夜になると、バイクや自転車、オートリクシャが駐車にし来て満車となるので、夜10時頃以降は強制的に練習できません。地続きの半野外です、よく野良犬や牛が入ってきて、練習が中断されました。住民が、よく棒で追い出してくれたものです。因みに、野良猫も住んでいました。夕方以降はたくさんの蚊がでてきて、何故か一緒にいても、インド人ではなく私ばかりが噛まれました。
たまに忘れ物をして、夜取りに行くと 多分家の中が暑いから?見知らぬおじさんが地べたで大きなイビキをかいて寝ていたこともありました。牛を飼っている人が大家さんだったので、突然、干し草が上から下までパンパンに置かれていたこともありました。
小さな灯りが2つついていましたが、夜になると影が深かったです。停電もよくありました。真夏の夜、ろうそくの灯りで練習したのはよい思い出です。全然見えないのですが、自分の影を頼りにして練習しました。
床は、下の層にある土をよく感じられる、とても踊りやすい床でした。ステップすると、パンパンと気持ちの良い乾いた音がします。鏡はもちろんありません。
練習中も色々な生活音が聞こえてきます。長屋的に他の住宅とも繋がっていて、駐車場はその入口にありました、大声で叫ぶ音、車の音、駆け回る子供、靴を履いたまま練習場を横切る人、、、出入りする人は、いつもチラチラとこちらを覗いてきます。
出入りする物も人も多い半野外でしたから、稽古場はいつでも砂っぽく、練習はまず、掃除から始めなければなりませんでした。練習場の隅には、擦り切れたボロボロの箒が1本置かれていました。インドの箒の使い方は、日本と違います。床に対して穂の部分を平行にして掃くので、かなり中腰になり構えなければなりません。よく、猫のフンや得体の知れない液体も掃除する羽目になっていました。屋根続きですぐ奥には何か金属を加工する謎の作業場があり、キツイ匂いと音がしていました。もちろん牛の匂いも、、。半野外で日陰なので、風が若干通りますから、夏はまあ室内よりはマシです。
突然、練習場の半分に荷物が積まれていることもありました。大家さんの飼っていた牛が死んで、死体が置かれていたのも練習場でした。
そんな練習場なので、バシバシステップを踏んで朝から夜まで練習していても、誰も文句を言う人はいませんでした。
今振り返ると過酷だなあと思いますが、当時の私は、何とも思っていませんでした。必要最低限は揃っていて、比較するものがないし、そういうものだと信じて疑わなかったからです。
練習していると、大家のおばさんが飼っている牛のミルクで作った、それは美味しいラッシーやお菓子を差し入れてくれ、ご飯も、何度も何度もご馳走になりました。
一応断っておくと、オディシャでも、整然としていて鏡までついた広いスタジオもあるにはあります。メジャーではありませんが。自宅に個人練習部屋がある生徒もたくさんいました。
が、私のグルジは、多分、必要最低限揃っていれば、それ以上にお金を使い設備を整える必要はないと考えていて、そういう訳で、いつまで経っても、8〜10畳程度のその場所で、時に30人くらいの子供たちと一緒に練習していました。ひとりでスペースを使って自己練できることは稀で、誰かインド人が来ているときは、端の方で軽く踊るしかありませんでした。
練習場はとても砂っぽく、CDプレーヤーはすぐに故障しました。壊れると、一番使っている私のせいだと皆が思っていたでしょうが、一日掃除しないだけで砂まみれになる環境ですから、元々CDとは相性が悪かったと思います。
因みに私が初めて行ったときはカセット音源が主でしたが、あっと言う間にCDへ移行、そして今はスマホ音源に切り替わりました。
ゲートの下の隙間から誰が来たか見えるので、グルジのスクーターが練習場の前に止まると、まず、その足元が見えて嬉しい気持ちになりました。
語ればキリがないほどです。
後に色々な事情から借りられなくなり、クラスは別の場所になりましたが、、。
そんなインドの練習場での経験があり、また上を見ても下を見てもきりがないと気付かせていただいています。
相対的に、日本はどこも恵まれていると思います。

皆さんも、練習の際は、
●足腰に負担のかからない+ステップの振動で苦情の出ない床、
●音楽を流しても大丈夫な環境
で、ステップしてくださいね。

↑今はなき、過去の稽古場での写真
posted by Susant at 19:56|
日記
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