2021年05月24日
グルジの言葉
2021年01月20日
2016年08月14日
グルジとの出会い
2015年07月28日
グルジとの出会い・4/4
程なくして私はインドを訪れることを決めました。
最初はガジェンドラ師の人柄にもう一度触れたい、という理由だけだったのですが、
気がついたらいつの間にか5年の月日が流れ、私はオディッシーダンサーになっていました。
こんなに何度も通うことになるとは、誰が想像できたでしょうか。
オリッサ滞在中、師はとてもよく気遣ってください、食事の心配から掃除の方法、買い物の仕方、体調を崩せばすぐに病院に連れていってくださいました。
そして完全な初心者だった私に根気よく踊りの稽古をつけてくださいました。
舞踊家として必要な踊りの舞台経験も、覚えきれないほど与えていただきました。
踊りだけでなく、インドの習慣やものの考え方、人としての振舞い方、神々の話、何でも教えてくださいました。
グルジ、そしてその家族の助けなくしては、外国人の小娘である私が過酷なオリッサでの日々を過ごすことは不可能でした。
踊りを本格的に始めた時から、私の夢はグルジの踊りを今度は私が日本で皆さんに紹介する、ということでした。
自分が受けた恩や愛情を、皆さんへお返しすることがグルジへの恩返しになると感じていたからです。
今回の機会が、(過去の私のように)誰かの人生にとっての光、考え方の転機となったらとても嬉しいです。
終わり
尊敬する、大好きなグルジの人生は、踊りに全て現れています。
2015年07月26日
グルジとの出会い・3/4
当時の私は大学でアートを学んでいましたが、心の底から情熱を持って取り組めるものや尊敬してついていける先生が見つからず、迷い悩んでいたのです。グルジとの出会いは、まるで闇の中に光が差し込んできてぱっと明るくなったような感覚すらありました。
それからインドに帰国されるまでの間、私は可能な限り師にメールを送り続け、師も愛を持って返信してくださいました。
公演に東京までも足を運びました。
そして帰国される際には大阪の空港まで見送りにいき、前の日の晩から関西空港の前で野宿して待ちました。(ご迷惑ながら・・・)
師は、必ずまた会うことを約束してくださいました。
2010年に名古屋公演を見て感動したときに描いた絵、
ダンボールに絵の具で描いて。
空港まで絵を見せに行きました、とても喜んでくださって、
ブバネシュワルのお家に飾ってくださっているのを見た時はとても嬉しかったです。
2015年07月24日
グルジとの出会い・2/4
お時間許せば、グルジとの出会い・1/4を先にご覧くださると
意味合いが通じやすいかと思われます。
ありがとうございます。
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翌日に踊りのワークショップが開催され、参加することができました。
小さな踊りの演目と、オディッシーダンスで使われる太鼓を教えてもらい、
優しく一生懸命に指導してくださるガジェンドラさんの姿にますます惹かれていきました。
その日の最後に質疑応答の時間があり、私は幸運にも気になっていたことを尋ねることができました。
「世界には色んなダンスがありますが、貴方は何故オディッシーダンスを踊られているのでしょうか?」
と失礼ながらも尋ねると師は
「私の師匠グル・デバプラサッド・ダスは若くして亡くなってしまいました。
師匠の思想、芸術を継承し広めていくことが、私の生涯の仕事で師匠への愛、献身なのです」
と仰いました。
この方は自己中心的という言葉とは間逆に生きる人だ、
自分以外の人間のために、こんなにも愛を持って生きている人がいるのか!
と、当時20歳だった私は深く感動し、涙が止まりませんでした。
初めてお話できたWSの時の写真
続きます。
グルジとの出会い・1/4
私、三浦知里は2010年に初めてガジェンドラ・クマール・パンダ氏と出会いました。
彼らはちょうど踊りのツアーで日本全国をまわっており、私の住んでいた名古屋の文化小劇場でも公演がありました。
当時オディッシーダンスを習いたてだった私は、そこで初めてオディッシーダンスを見ました。
言葉や物語は分からなくても、
踊りから伝わってくる呼吸や力強さは「生のエネルギー」として会場を感動させ、
ガジェンドラ氏の踊りからは、とても深く大きなすべてへの「愛」を感じました。
こんなに大きな会場でも、この人は全観客を見ているような気がする、
と思いました。